大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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月曜評論 眞悟の憂国

平成15年2月号

このごろようやく思い至ったことがある。それは、「あの戦争」といわれる大東亜戦争を今一度検証しなければ、現状の打破は無理だということ。政治も経済も教育も官僚機構も、活力が減退して退廃した。この出発点つまり源は、大東亜戦争の封印である。だからこの封印を解けば、復元できる。大東亜戦争は宝の山だ。この戦争は、我が国家運営において計り知れない貴重な教訓に満ちている。これを封印したのだから、我が国は教訓を奪われたことになる。その結果が今我々の眼前に満ち満ちている。

戦争は野蛮だ、野蛮な時代を振り返る必要はない、と言う人がいる。だが野蛮人に戦争はできない。戦争は文明がなければなし得ない。その時代の国家運営の極限であり、知力と体力の総合発揮によって遂行される。そして、我が国は大東亜戦争に負けたのだ。そこで、何故負けたのかと検証したのか。検証していない。では、今からでも遅くはない、検証しようではないか、と思い至ったのだ。

さて、検証の切り口が問題だ。元々勝てない戦争をした、悪かったので戦争に負けた、では検証にならない。もちろん戦争には勝ち負けがある。その勝敗の結果が出るプロセス。ここが教訓の塊なのだ。そしてこのプロセスに身を置いて検証するということは、こういう「戦い方」をしたから負けたのである、したがって、こう言う「戦い方」をすれば勝ったのである、と「勝機を探求すること」に他ならない。

そこで、戦後日本は大東亜戦争の勝機を探求したのか。全くしていないではないか。元々負けることが決まっていたとか、負けた方がよかったとか、無謀な戦争をしてけしからんとか、国民は被害者だったとか。これでは、広島の「過ちは繰返しませんから」と同様に糞の役にも立たない。偽善、欺瞞だ。 つまり、戦後は偽善、欺瞞であり、これが現在の亡国的症状をもたらしたということだ。

大東亜戦争は、かくすれば勝てた戦争である。従って、卑屈さを排して誇りをもって教訓を汲み取ろう。そして、現在の国家体制を見つめよう。そうすれば、驚くべし、同じ戦い方しかできない国家が現在まで継続していることが分かる。

まず第一に、明確な国家戦略に基づく政治と軍事の連携がない。国家戦略がなければ、大局に立たない官僚的セクト主義が、国家全体を引きずることになる。

第二に、統帥つまり軍隊の指揮命令系統が不明確だ。最高指揮権が、内閣総理大臣に専属しているのか合議体の内閣に属しているのか、分からない。戦前は、陸海軍の統帥は別個バラバラで政治と統帥は切断されており、我が国は分裂状態で総力戦をしたのである。

第三に、陸海軍統合運用ができない。

第四に、情報収集体制が脆弱である。

国家体制と政治情況に関するこの四項目は、戦前戦後を通じて一貫した我が国家の欠陥である。したがって、この四つの欠陥を直ちに是正しなければならない。そうすれば、正確な情報に基づく明確な国家戦略の元に、政治と軍事が連携して事態に対処し、政治が軍事領域の発動を決断すれば、最高指揮命令権者がその命令を発し、陸海空軍の統合運用が始まる、という体制が生まれる。大東亜戦争において、仮にこの国家体制が確立しておれば、戦略目的を「アジア解放」においた陸海軍統合運用がなされ、敗因である陸海軍のバラバラな消耗は回避されたであろう。政戦略を練り直せば、大東亜戦争は、勝てた戦争だったと私は判断している。インドを含む全アジアの独立は、大東亜戦争のなかで生まれた。