大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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月曜評論 眞悟の憂国

平成15年1月号

もはや初夏で、梅雨まぢかです。お変わりなくご活躍のことと存じます。

「それ、よく天下の事を制する者は、事の外に立って、事のうちに屈せず。」これは、山田方谷の「理財論」にある一文である。山田方谷とは、幕末の陽明学者で備前松山藩の改革者である。幕府諸藩共通の財政的逼迫について論じた「理財論」を読むと、これは百五十年 後の現在を射程に入れて論じているのだと思われる。それほど普遍的真理を語っている。

現在は、藩政改革の成功例として、米沢藩の上杉鷹山による改革が筆頭にあげられる。しかし、真の改革は、山田方谷とその弟子の河井継之助により備中松山藩と越後長岡藩で行われた。方谷自身、河井継之助に上杉鷹山の改革を手厳しく批判している。それは、改革とは 単なる財政の健全化だけではないという確信からである。「倹約もよけれども文武振るわずしては残念なりと」(河井継之助の日記、「塵壺」より)。

では、財政の健全化のみに執着しない山田方谷の改革において、財政健全化のスピードが遅いのかというと、決してそうではないのだ。上杉の米沢藩において財政が健全化するのに、五十年以上を必要とした。鷹山の死後遙かである。しかし、方谷は七年でそれを達成した。 彼は同時代を突き抜けて、貨幣経済の発想で改革に着手したからである。従って、倹約をすれば済むとは思っていない。通貨をいかに流通させるかという方策を断行したのである。その上で、民を安心させ、文武を振るうことを重視した。文武とは結局身分ではない。ここで、封建制を突き抜ける。方谷は、農民からなる最新式元込銃を装備した日本最強の洋式歩兵部隊を創設する。安政五年、その訓練の模様を長州の久坂玄瑞が見学して唖然とする。彼は石高において七倍の長州藩が松山藩に敗北するのを悟ったのだ。この見聞が六年後の高杉晋作の奇兵隊創設につながっていく。つまり、方谷は、日本において近代的な国民の軍隊を初めて創った男なのだ。

それが可能だったのは、彼が徳川体制を眼中に置かない改革者であったからだ。薩摩や長州の維新英雄の面々でさえ、桜田門外の変で井伊大老が殺されるまで徳川体制が倒れるとは考えることもできなかったことを思うと、方谷は驚くべき傑物である。

さて、冒頭の「理財論」に戻ろう。現代流に言えば、つぎのように言っている。

「財政再建、不良債権処理なくして景気回復なし。それは、分かる。しかし、不良債権処理をすればするほど、財政再建を叫べば叫ぶほど、ますます財政逼迫していくのは何故かと、考えて見ろ。為政者が国を守ることを考えずに、ただ財政のことだけが仕事だと思いこんで、他を知らない。しかし、人心は邪ではないか。官吏は腐敗しているではないか。社会風紀はきわめて軽薄ではないか。教育は荒廃しているではないか。国防体制はなっていないではないか。一日超然として財利の外に立ってこれらを見ろ。そして、これらを正せ。古道を重んじて教育を正せ。義を明らかにしろ。そうすれば、自ずから守るところのものが定まる。それは回り道だと反論する者がいるが、それならば、この十年、二十年、財政の事だけに携わって、益々財政が逼迫してきたのは何故か、答えろ。」

先日、言明どおりに靖国神社に参拝する総理の姿こそ,「善く天下のことを制する者」の姿であると質問した。これに対して総理の反応なし。靖国神社は、個人的な問題で、総理大臣とは関係ないという答えが返ってきた。

もう既に、「内に屈している」。