大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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月曜評論 眞悟の憂国

平成13年12月号

戦後のわが国の駆け込み寺は常に憲法九条である。政府も国民も、憲法九条を持ち出して国内と国外に言い訳すれば責任は負わないもの、と思っていた。そして、わが国は、駆け込み寺から出れなくなり、外の世界を頭をすくめて眺めているだけになった。しかし、その間にわが国は、世界第二位の経済大国になっていた。任務を負うのを嫌う臆病者が、金だけ入るシステムに偶々恵まれれば、どうなる。その姿が現在日本の実像である。

これで明らかなように、戦後体制の最大の保守すべき価値は、「憲法九条」となる。したがってわが国政界では、野党以上に与党も憲法九条を保守するのだ。あたかも、現実から遊離して、有職故実を秘め事のように伝える公家の世界である。これを「戦後保守」と呼ぼう。この度の国会におけるテロ対策法案審議の実態は、この法案の内容を明らかにしたのではなく、現在政治の次元を明らかにした。小泉内閣、未だこの次元なのだ。

では、戦後保守がもたらしたものは何か。軍事領域における思考停止に止まるのか。否、わが国政治全般の堕落と、国民精神の退廃を招いている。政府は、現在に至るも、経済政策や税制改革や教育改革やエネルギー政策等と、各専門領域ごとに別々に論じている。あたかも、これらの政策は大学の各カリキュラムのようにばらばらに存在していると思っているようである。ここからは、全体をまとめ位置付ける戦略が生まれない。そして、近年目立つのは、閣僚の「専門家化」である。彼らは訪米の理論をカタカナでそのまま持ち込んでわが国もそれをしなければならないように仕向ける。しかし、その結果に責任をもたない。この風潮は、わが国の政治から国家とは如何にして成り立つのかという現実的考察能力が失われていることを示している。

それは当然であろう。憲法九条に駆け込むことによって逃げてきた「軍事」とは、国家存立の決断領域にある。よって、この領域に目を閉ざした戦後保守とは、実は、「国家」のことを考えない特異な精神的堕落状態と言わざるをえないからだ。

アメリカやイギリスは、国に忠誠を誓い、武器を持って母国を守ることを当然と教え、小中学生の八割以上がそのように答える国である。わが国は、四パーセント以下の少年しか国を守ると答えない国だ。たとえ経済政策といえども、このような、国家維持のソフトを持った国の政策が、それを持たないわが国に適用して同様に機能するのか。この点検ができないのが、わが国の政治なのだ。

「構造改革」も「不良債権処理」も、何を目指しているのか。株価が上がりカネが回り始めるようになれば、万万歳という発想で言われているのか。そうであるならば、それさえも実現できないであろう。今行わねばならない真の改革とは、戦後保守から脱却し、教育を含む国家存続の戦略を構築することである。それは、憲法九条の解釈変更、自主憲法制定への道を歩み出すことから始まる。これは、まず総理大臣の決断でできるのだ。小泉総理、今からでも遅くはないと励ましたい。国家存立のためには、安易な期待など、一切を排して現実を直視することである。これが、為政者の責務ではないか。

「軍事力を持たない国際法など一文の価値もない」(ドゴール)。

軍事領域における国家存立の戦略を練らない国家に、グローバル化した経済戦略を構築できるはずがないのだ。