大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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月曜評論 眞悟の憂国

平成13年10月号

自衛権の発動

「そのうえ、国民は非常に勇敢で常に軍事訓練をしているので、皇帝陛下が征服する対象としてはふさわしくない」。これは十六世紀に日本に滞在したスペイン人宣教師ブァリニアーノがフィリピンのスペイン総督にだした日本報告の結論部分である。この日本報告のまえに彼は「シナは皇帝陛下が征服すべき絶好の地域である」と述べている。

さて、ここで十六世紀の日本人の姿が見えるではないか。つまりこの時代の我が国は、すべての男子が武器を持って軍事行動をとれる社会を形成していたのだ。この人民の武器保有は、秀吉の刀狩りで武士のみに限られ、さらに明治の廃刀令でほぼ制度として消滅したのである。しかし、我が国がフィリピン(つまりフィリップ二世の土地)のようにならなかった理由が人民の武器保有と軍事訓練と識しておくべきである。なぜならこれこそ、近代民主主義国家において国防の基礎として再び位置づけられねばならない体制であるからである。つまり。「お上」と人民の区別がない民主主義国家になれば、国防も「お上」がするのではなく国民がするものとなるのだ。しかしながら、我が国はこの点に奇形がある。なぜなら国民は主権者だとうるさいほど権利を主張する者に限って、「国防」は「お上」がするものと思いこんでいるからである。

民主主義国家のあり方としての「人民の人民による人民のための政治」では、国防も人民の人民による人民のためにあるのだ。人民が武器を保有して国を守る基本的権利を有しているがゆえに国防が成り立つのである。我々国民は自ら家族・社会・祖国を守る基本的権利を有する。この国民の権利が国家体制に委譲され警察および軍隊がその任務を遂行するのである。シビリアンコントロールの本質もここから導かれる。すなわち「国民の軍隊」を動かす者は、民主的に任命された最高権力者にして国民に対して政治的責任を負う内閣総理大臣でなければならないのだ。

この観点から、我が国の自衛権の発動原因が明確になる。国民が北朝鮮に百名以上拉致されれば、自衛権を発動しなければならない。国民が二十数名国際的テロ組織によって殺されれば、自衛権を発動しなければならない。国民自身が惨害を受けている事態に際して、その国民から防衛の権限を委譲された政治が「国民の軍隊」を動かす法的権限は自衛権しかないではないか。ここにいたって自衛権行使を意識しない内閣総理大臣は、封建時代の宮廷に巣くう宦官である。自衛隊は彼の傭兵ではない。「国民の軍隊」である。

さて、この度のニューヨークでの爆撃テロに遭遇して、我が国政府は何をしているのか。自衛権は行使できないとしている。しかし、アメリカの後方で「武力行使」と一体にならない支援をするという。つまり、「国民の軍隊」を国民のために用いない。後ろの方でチョロチョロとアメリカの支援には用いるというのである。そして、国会では大まじめに屁理屈をこね回している。このような総理大臣とそれを支える政治体制を黙認していると、いずれ国民に惨害が及ぶであろう。

ブァリニアーノが今我が国をみれば、「征服するには絶好のターゲット」との報告を送るであろう。そして現実にテロ組織の親分は絶好のターゲットと認識したはずだ。

このような屈辱をなぜ日本人が忍ばねばならないのか。ご先祖に申し訳ないではないか。