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このページは、西村眞悟議員を応援する言論人の会により発行された「西村眞悟の魅力はこれだ!」(言論人の応援文集)をホームページ用にアレンジしたものです。
同会は小田村四郎氏(前拓殖大学総長)、加瀬英明氏(外交評論家)、田久保 忠衛氏(杏林大学客員教授)、中西輝政氏(京都大学教授)、長谷川三千子氏(埼玉大学教授)を設立発起人として平成15年10月に設立され、活動の第一弾の活動として「西村眞悟の魅力はこれだ!」という冊子を発行しました。
同冊子は好評を博し、平成20年3月に応援文筆者(及び連名賛同者)が大幅に増員して、改定新版として再刊されました。
西村氏の素晴らしさ、掛け替えのなさは何か、西村氏のどこに魅かれるのか、といったことについて述べた文集は温かみにあふれるものであり、ここに一部を紹介する次第です。
是非ともご一読いただけますよう、宜しくお願いいたします。
平成21年8月
西村眞悟事務所
序 文
西村眞悟衆議院議員は、平成五年の総選挙で初当選して以来、その確乎たる国体(国がら)観、その抜群の見識、その並外れた行動力によって、心ある国民の輿望を一身に担ってきました。その盛名は今や全国を覆うています。
しかし、それだけにまた西村議員の政権を忌避し敵視する政治勢力も与野党を問わず強大であって、そのことがこれまで選挙区(大阪十七区)の情勢を厳しいものにしてきたことは否定できません。
そのような西村議員を応援するために、このたび言論人を中心として「西村眞悟議員を応援する言論人の会(略称・応援言論人の会)が設立されました。そして、設立後の第一弾の活動として発行したのが本冊子です。
西村議員の素晴らしさ、掛け替えのなさは何か、西村議員のどこに魅かれるのか、といったことについて述べた本冊子が、西村支持支援の輪の拡大に多少なりとも役立つことが出来ればと願っています。
なお、本会の設立及び本冊子の企画が慌ただしく進められたために、一つは連名賛同者参加の呼びかけが不十分な範囲で行われたこと、したがって呼びかけは今後も継続して行うということと、もう一つは締切りまでの期間が短く応援原稿を執筆できなかった連名賛同者が多かったということを申し添えます。
西村眞悟議員を応援する言論人の会
設立発起人 小田村 四郎
加瀬 英明
田久保 忠衛
中西 輝政
長谷川 三千子
改訂版序文
本冊子が刊行されたのは平成十五年十月です。西村議員への熱い思いや強い期待が込められたこの冊子は大好評を博し、存分に活用されました。
以来四年数ケ月。在庫切れになって久しく、各方面の熱望に応えてここに再刊する運びとなりました。西村議員の支持と支援の輪の拡がりに少しでもお役に立てれば幸いです。
なお、再刊にあたり、応援文筆者(及び連名賛同者)が大幅に増えたこと、応援文は旧版のままの掲載がある一方で加筆修正を施しての掲載もあること、旧版刊行後亡くなった筆者の場合は「故人」の註記をしたこと、編集の様式体裁を一新したことを申し添えます。
平成二十年三月四日
西村眞悟議員を応援する言論人の会
世話人代表 加瀬 英明
論旨一貫してブレず、私心無し
西村眞悟先生を信頼申し上げるのは、その論旨が一貫して少しもブレない事である。
そんな事は政治家、知識人として当然の事であるが、それが意外に少ない。それは時流の変り目にすぐわかる。拉致事件に関する政治家、新聞の立場の豹変の見苦しさは目を蔽わしめるものがある。
私心が無い事が最低の条件である。北朝鮮を庇っていた人々は、それが信念ならば、変り行く世論の中で孤立しようが非難を浴びようが毅然としていれば良い。それが出来ないのは我身可愛さのためである。前に北朝鮮を庇ったのも右寄りとの非難を恐れたためだったのであろう。
私心の無さ。
それこそが国政を託する人の条件であり、西村氏にはそれがある。
岡崎研究所所長
岡崎 久彦
日本随一の哲人政治家
西村眞悟先生の政治論は、すべて古今東西にわたる該博な学識と深い思索と高い識見に裏付けられています。これほどの教養と見識を兼ね具えた政治家は、我が国のみならず世界を探しても見当りません。
しかし何よりも強調しなければならないのは、西村先生の「志」です。その「志」の高さ、堅固さにおいて先生を凌ぐ政治家はないでしょう。敗戦で失われた日本の「国家の回復」、「民族の再生」という政治目標に向って、先生は全身全霊を捧げて来られました。尖閣諸島上陸の敢行も、拉致家族救出活動も、国家意識を喪失した政府に対する叱咤であり、国民に対する警鐘でした。
西村先生が国政を統率する時こそ、我が国は古来の「光輝ある日本」として復活することができるでしょう。
前拓殖大学総長
小田村 四郎
天が日本国民に生命力を得させるために遺したリーダー
一月に、西村代議士の後援会総会が都内で催された。私は幹部の一人として、同じ月内に愛息を失われたから、延期したほうがよいか迷った。すると、代議士が「同志と会うのは公務だから、予定通り行う」といわれた。
私は令息が旅立たれた時に、代議士がキリスト信者であることを知った。そして会場で、代議士の凛とした姿を見て、聖書の『ヨハネの福音書』にある一節を思った。私はキリスト教徒ではないが、聖書の研究者として、イエスのこの言葉を好んでいる。「わたしが来たのは、彼らが生命(いのち)を得、それを豊かに持つためです」
この言葉は日本語の聖書で読むと、力がないが、英語やドイツ語で読むと、人間は眠っていないで、生命力のかぎりにいっぱいに生きろという、血が滾(たぎ)るような響きがある。私は西村代議士こそ、天が日本国民に生命力を得させるために遺したリーダーであることを確信した。
外交評論家
加瀬 英明
「義」の魂を持つ「大義士」
政治家が「義」という言葉を忘れ、「利」の一文字にばかり狂奔するようになって久しい。その中で、西村眞悟さんはただただ「義」に殉ずる政治活動を行ってきた。
「義」とは「我美し」と書く。「我美し」と判ずるのは、我自身である。ついその判断は甘きに易きに流れやすい。しかし、西村さんは、強靱な精神力で、自らを律し続けてきた。「利」に溺れているような輩にとって、これほど目障りな存在はない。かくして、西村さんはことあるたびにそうした勢力に付け狙われ、茨の道を歩んできた。
私たちは西村さんのそうした孤高の歩みに、甘えてはいなかったか。「我美し」と自らを厳しい高みに置き続ける西村さんを「彼美し」と、もっと私たちが声をあげるべきではなかったか。
今日もまた「利」に溺れる輩が国を売ろうとしている。その前に敢然と立ちはだかる義の政治家・西村眞悟を、もっと私たちは声をあげて支えようではないか。ここに立つひとりの漢は、ただの「代議士」ではない。「義」の魂を持つ「大義士」でもあるのだと。
コラムニスト
勝谷 誠彦
原理原則を貫く政治家
「辛口」と言われる私が、よく褒めるのが西村眞悟さんです。あるテレビ番組で、実績よりも評価されている人、されていない人という設問でその人物の名を問われたとき、実績よりも評価されていない人として「西村眞悟」と書いたことがあります。
西村さんは政治の世界でのパイオニアと言えます。すなわち、日本が抱えている問題及び日本が解決しなければならない大切な諸問題を、誰もが見向きもしなかった時から指摘していたという点がいくつも見受けられます。
拉致問題や領土問題などを誰よりも先駆けて問題提起したのが西村さんであり、また中国一辺倒の政界の中で、「台湾は日本にとって大切な国だ」ということを、誰も言わない時から言い続けてくれている政治家でもあります。
こういう先見性のある政治家はごく少数であるのが実情です。また物事が見えていても発言する勇気がなく、発言する前に損をするか得をするかという計算する議員も少なくありません。
そういった中で、自分の原理原則及び信念を曲げずにずっと貫いてきたのが西村さんであり、この点では、日本のためにひたすら献身を続ける信頼できる政治家です。
評論家
金 美齢
眞悟さん、試練をのり越えて
眞悟氏と初めて出会ったのは、彼が三十七期司法修習生として大阪に配属された時・爾来二十五年が経つ。
平成五年総選挙で初当選して以来、彼の政治家としての軸がブレたことは一度も見たことがない。この国を愛し、この国民を愛する、言動に時に愚直すら感じる。民社党、新進党、自由党、民主党。今や政局にしか関心のない人達と彼は一線を画している。立場上、司法改革の立法課題で多くの与野党の議員と接する機会があったが、眞悟氏の発する国家観を醸し出す議員のいかに少なかったことか。
この国の国人が義を行動基準とすることを失って久しい。この国の真の復活・再生を担う使命を与えられた眞悟氏に、神は試練の時を与え続けられている。時の権力は、事務員の監督責任を突いて彼から弁護士の資格を奪った。そして又、彼から最愛の息子の生命を召された。何故、神はこのような酷い試練を与えられるのか。神はこの国を救う者として、その時に備えて苦しみうめいて叫びをあげる彼をなおも打ちたたいておられる。ヨブの如く堪え忍ぶしかない。具眼の士のお支えを願うこと切である。
前大阪弁護士会会長
小寺 一矢
我国の政治にとって不可缺の人材
西村眞悟氏の名をきけば、直ちにあの尖閣列島魚釣島上陸敢行の壮挙を思い出す。日本国の国家主権の面目を一身に担って、身を以てしての領土保有宣言だった。政府こそそれを果す義務があったのに、時の総理大臣は西村議員に感謝し慰労するどころか迷惑顔をした。政治家としての器量の差が歴然と表れた一件だった。
次に思い出すのは、核武装論議の提案である。この問題を論議の対象とせよと唱えただけで氏は防衛政務次官を罷免された。しかし政府より民間の輿論の方がよほど気が確かである。国民は政府とは逆に、西村氏こそ、現在の我国の政治にとって不可缺の人材であることを確信した。私もそのことを確信する一人であり、茲に満腔の支持を表明するものである。
東京大学名誉教授
小堀 桂一郎
ゆるぎない信念と正義感を持った代議士
日本に本物の政治家が何人いるかときかれたら、私はその筆頭に西村氏の名前を挙げる。
西村眞悟氏ほどゆるぎない信念と正義感を持った代議士を、私は知らない。
西村眞悟がいなければ、いったい誰が拉致を国会で公に問題にしたろうか。いったい誰が、批判にさらされることを承知で核武装や、自衛隊の国軍化を論じたろう。それらは論じられなくてはならないことは明白だったのに、誰も寝た子を起こすなかれと発言しなかった。
西村氏はその純粋さゆえ、意思のつよさ、ネゴシエートの効かない精錬さゆえ、また謀略をもたない実直さゆえに、不遇にもさらされやすい人物にもみえる。口当たりのいいことだけ、きれいごとだけで政治を語ろうとするものからは、いつも批判にさらされてきたのは氏である。しかし、みなは見ないふりをしているが、この国は氏が警鐘を鳴らすがごとく、極めて危険にさらされているのである。なぜそれに多くの人は耳を傾けないのか。
しかし、どんな時代も国を変えてきたのはそういう人物だった。私は氏の言葉が時代の本流になっていく時代が近いと確信する。
最愛のご子息の死を乗り越えてさえ、更にまだ政治の道を進まんとする氏は、まさに命を懸けてこの国のために働こうとしているかに見える。わたしは、心から西村氏を信頼し、その活躍を応援します。
漫画家
さかもと未明
西村議員に見る大政治家の本質
要領がよく、変り身の早い、とにかく世渡り上手な政治家があまりにも多くないか、と思う。私が西村さんを支持するのは、要領が悪く、変り身を早くしようとしてもできない、世渡りの下手なところに大政治家の本質を見ているからだ。
日本という国家がかかえている憲法、防衛、教育、歴史観、国民精神に揺ぎない信念を持っている政治家をいまの日本は要求している。これは政治指導者として唯一、最大の条件だろう。西村さんはその条件に適う少数の政治家の一人だと信じている。
とにかく、器用な人にはなってもらいたくない。
杏林大学客員教授
田久保 忠衛
西村眞悟に託された日本の未来
いま日本は百年に一度の大きな分岐路に立っている。いや、もうそこここに、この国が壊れ、融けてなくなろうとする情景が日々、我々の眼に入ってくる。戦後という時代のもった本質が、今その結末をあらわにしているということなのであろう。
このような歴史的な危機の時代に、この国の舵取りは実に情けない人々によって、ないがしろにされたままだ。今この国に必要なのは小手先の「構造改革」などではなく、国家としての基本構造と国民精神の改革に他ならない。この大きな歴史的使命を担う日本の「真の舵取り役」として西村眞悟という政治家に今、国民の大きな期待が向けられているのは当然至極のことと言わなければならない。日本の真の再生を担う国家的指導者として、西村眞悟氏に満腔より支持と期待を送るものである。
京都大学教授
中西 輝政
拉致被害者家族と共に戦い続けた先生
西村眞悟先生は平成九年より拉致被害者救出運動に取り組んできた。被害者家族が必死で取り組んできた運動だが、率直に言って、平成十四年九月、小泉・金正日会談で北朝鮮が拉致を認めるまではまったく少数派で、国会で議席を持っている政党で党の公約として被害者救出を挙げたところは、与野党ともになかった。
平成九年二月西村先生は衆議員予算委員会でめぐみさんが拉致されていると初めて国会で取り上げた。
その後、継続して国会の場で「拉致はテロだ。即時に経済制裁を実施せよ」と主張し続けた。
平成十二年、六〇万トンの対北朝鮮コメ支援に反対して外務省前と自民党前で座り込んだ家族らのもとに駆けつけ激励演説をした。座り込み現場に駆けつけた国会議員は西村眞悟一人だけだった。
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会常任副会長
西岡 力
詩人政治家―行動が人の胸を打つ
西村さんはご自身のホームページに毎日の行動日誌を公開している。それを見ると、全国走破の行脚である。問題のある所へ行って討論し、悩める人のいる所へ行って力づける。大変だなアと、その行動力と精神力に敬服する。
八月二十四日に御殿場から新潟へかけつけた。翌朝埠頭で北朝鮮の貨物船万景峰号を迎えるためだった。現地で西村さんは、金正日の写真や北朝鮮の国旗を焼こうとする日本人一行を抑えて、朝鮮人と同じ次元のことを横田早紀江さんにさせられない、と考える。
「日本人の人道を無視し、朝鮮人にだけ『人道』があるとする独裁者からの船を入れる日本政府は、明らかに『おかしい』。許されない。」と彼は書く。憤怒がほとばしるような文章である。そして最後に次の一首が記されてあった。
この秋は 風か嵐か 知らねども 今日の勤めの 草を刈るかな
私は西村さんのこの日の記録文と右の和歌を、私のホームページに掲げた。ここは誰でもが自由に感想を書きこめるようになっている。数日間、ひとびとは西村眞悟をいかに敬愛するかを語り、また、彼ら自身が活動した直後に右の歌を引いて、自分も歌と同じ心境です、と語るなどが相次いだ。
西村さんの行動は人の胸を打ち、その詩は人の心を動かす。彼はただの政治家ではない。詩人である。しかし行動家でなければ残せない言葉を記す詩人である。感傷とは遠い雄渾の詩人である。
電気通信大学名誉教授
西尾 幹二
終始一貫ゆるがぬ日本人としての姿勢
「政治家が小粒になった」「見識のある人物が見あたらない」――こうした不平不満は、いつの世にも聞かれる陳腐な愚痴である。しかし、いまや本当に、「見識のある政治家」というものが稀になってしまった。西村眞悟氏は、そのきわめて稀なお一人である。
私が西村氏を応援するのは、なにか特定のあれこれの問題について意見が一致するから、というような理由によるのではない。一人の日本人としての西村氏の姿勢が、終始一貫してゆるがないこと。そして、それが政治家としての氏の基点となっていること――それがひしひしと伝わってくるからである。西村眞悟氏ならば、どんな場にあっても、変らず活躍しつづけてくださるものと期待している。
埼玉大学教授
長谷川 三千子
斎藤隆夫を想起させる政治家
自らの信念を曲げることなく、言いたいことを自分の言葉で言う。時流に阿らず、流れに掉ささず。ひたすら国民の幸せを願い、国の行末に思いを致す。
現在の政界に、そんな政治家は稀だ。その数少ない政治家のひとりが、西村眞悟さんである。
昨年、安倍晋三総理が、ああいう形で辞任した時、西村さんにお願いして『WiLL』に一文を寄せていただいた。「安倍総理への鎮魂曲(レクイレム)」。
西村さんはその中で、安倍総理の辞任会見を評価し、安倍総理が、なぜ精神と肉体の限界を超えてしまったのかを分析、〈安倍晋三さんが、一刻も早く体力と気力を回復されることを祈る〉と結んだ。
政界、マスコミ、あげて安倍非難の大合唱の中で、愛情溢れる鎮魂の言葉であった。
西村眞悟さんを思う時、同じ兵庫県選出の代議士斉藤隆夫、昭和十五年、反軍演説で議員を除名された、あの斉藤隆夫を思い起こす。
雑誌『WiLL』編集長
花田 紀凱
希有の人の議席死守は国民の義務
西村眞悟さんは固い信念を曲げない。陽明学の肯綮は言行一致。言うことと行うことが違うマキャべリストが百鬼夜行する永田町で、現代の大塩平八郎のような役回りはまことに得難い存在である。
原則を曲げない姿勢も爽やかである。
基本が磐石だから西村さんの議論は安全保障、外交、領土、北朝鮮問題、全てが安心して聴ける。くわえて弁護士として鍛えた論理の積み上げが、精緻な議論を一層鋭くするが、現世の御利益しか追求しない永田町の魑魅魍魎の世界では通じにくいのだ。この希有の人の議席を死守することは国民の義務である。
評論家
宮崎 正弘
国民の先頭で行動する真のリーダー
国家の基本は国体と政治にある。政治の質は国民の民度にあると言われるが、政治家は国民の反映であり、それ以外のものではない。西村議員は国家のあり方を常に念頭において議員として活躍してこられた数少ない「国士」であり、国会議員である。国会議員は国のあるべき方向と国民の進むべき道を示す職業である。
西村議員は拉致問題を誰よりも早くから国会で取上げてこられた。西村議員は尖閣列島の領有権問題を誰よりも強く国会で訴えてこられた。そして、言葉だけでなくこれを実行された議員でもある。国会議員は国会で議論しておれば良いのではない。国民の先頭に立って行動しなければ真の立法者とは言えない。その意味において西村議員は民主主義体制における国民の真のリーダーである。
拓殖大学海外事情研究所所長
森本 敏
熱狂させる政治家
政治家に最も必要な資質はカリスマ性だと思う。これを備えた政治家は語る前に聴衆を熱狂させ、言葉を発すれば彼の言説は聴衆の頭の芯にまで浸透する。拉致被害者の家族の会を日比谷公会堂で始めた頃のこと。桜井よしこさんに「手伝って下さい」といわれてスピーチをしたことがある。聴衆はまばらで「この運動が国民運動になるだろうか」と心配したものである。しかし回を追う毎に運動は盛り上がって行った。その功労者の一人はまぎれもなく西村眞悟氏だ。
西村氏が壇に上ると地鳴りのような拍手と喚声が場内を揺るがした。私は政治家の演説であれほど熱狂的な場面を見たことがない。喋る前に熱狂させる政治家こそが最も力のある政治家だ。拉致被害者の家族には百万人もの援軍に思えるだろう。私がいくら能書きを唱えても、西村氏のドスの効いた一声にはかなわない。氏を盛り立てて拉致被害者が帰国するまで頑張ろう。
政治評論家
屋山 太郎
西村眞悟先生は、何時しか私を虜にした。
殉国の英霊を祀る靖國神社に奉職中、折々に同志を連れられての参拝をなさる先生の心情に、憂国の至情迸り出づるものあるを知り、眞の愛国者であることを確信し、尊敬申し上げることとなった。
かつて防衛政務次官ご就任の折、就任の奉告参拝に参られました。これは政治家の多くが喜んでなさることでした。一方退任時にはどなたも奉告参拝に参りません。唯一参拝に来られた方は、我が西村眞悟先生で、礼服に身を正し、粛々と参拝をなさいました。
以来私は同志の一人と自任し、昨秋は台湾に、本年は伊勢の神宮の御垣内参拝に同志の方々とご一緒に同行致しました。
靖國神社にとって、否日本の国家にとって無くてはならぬ政治家です。日本再生のために、更なる奮闘を期待し、声を大にして、応援したいと思っております。
前靖國神社宮司
湯澤 貞
主権と国威を考える人
ブレジンスキーというアメリカの要人が、日本をかよわい木の花に喩え、またアメリカの保護国(プロテクトレイト)のようなものだと言った。癪にさわる話だが、日本の政治家の多くの言動を見ると、そう言われても仕方がない気がしないでもない。
そういう情けない政治家の中にあって、日本の主権と威信について、明治維新生き残りの政治家のような感覚を持ち、発言かつ行動している政治家が西村眞悟議員である。西村議員の主張されていることは、どこの国の政治家の発言としても真当(まっとう)なものであるのに、敗戦利得者が社会、殊に言論界で主流を成してきた日本では、かえって変り種(ラーラ・エヴィス)のようにさえ見えているのである。
日本と日本人の将来に明るさを期待するとすれば、西村議員の主張が日本の政界や言論界の主流になる日であろう。西村議員の御健闘を祈るや切。
上智大学名誉教授
渡部 昇一