大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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亡国を知らざればこれ即ち亡国

危機とは、それを克服したときには再興の転機となり、克服できなければ衰亡のきっかけとなる。その意味で、現在日本はまさに危機である。では、この今ある危機は再興の転機なのか衰亡の転機なのか。それを見極めるためには、現在の危機の本質を見なければならない。そうすれば、まさに「衰亡の転機」としての危機の中に我が日本があることが分かる。何故なら、日本の政治は今危機の中にあることを自覚していないからである。即ち、明治の田中正造翁が言うように「亡国を知らざれば、これ即ち亡国」なのである。危機は我々を蓋っている。しかし、我々はそれに気づかない。わが国は、国際政治という俎板の上に乗っている貝である。知らないのは俎板の上の貝だけである。これ即ち最深の危機ではないか。

そこで、この危機を「再興の転機」に転化させるための我々の責務について述べたい。そのために、まず分かりやすいほとんど自明のことを確認し、最大の戦略的要衝を明確にする。

第一に言えることは、五十七年間、日本人は悪いことをしたという教育を続けてただで済むはずがないではないか。五十六年間、占領軍が作った憲法を祝詞のように念じていてただで済むはずがないではないか。

さらに、五十七年間、政治が国家防衛構想を持たずにいれば、政治からも国民からも奉公の精神と使命感が喪失する。そして、国家も個人も、五十七年間、金儲けだけを目的に生きてくれば、ボケるのは当たり前だ。しかも、国のために戦って死んだ英霊を忘れて、経済大国もくそもあるものか。経済大国は一時の幻想で、北京とロンドンの話し合いで運命を決められた香港のようになるだけだ。

このように、始めに我々の日常感覚に忠実に点検すれば、如何に我が国の戦闘終結後五十七年、主権回復後五十年が異常であるのかがわかる。この異常さに未だに気づかない日本人の国は、李鵬に言われるまでもなく数年で「無い」と国際的に判断されるのが当然である。これ以外の結論は出ない。

例を幾らあげても切りが無い。よって、結論を言うと、我が国家再興のきっかけは、日本人の常識の再興にありということになる。非常識なことを続けていたのだから、常識に戻ることが復元の大道なのだ。

これは常識の逆転という作業である。なにしろ五十年も非常識が常識として支配したのである。この年月は、小学生が六十歳を超えて内閣総理大臣になり、学校で教えられたとおりに非常識な謝罪外交などをしてしまう程の期間である。したがって、この期間を経た後での常識の再興は、あたかも地球は平らだと思い込んでいる者に、実は円いのだと教えるような困難を伴う。しかし、地球は丸いんだから、これは常識として捨てることはできないのだ。必ず大勢となる。我が国の常識の復元も必ず大勢となる。

その手始めとして、政治の場にいる者として現代政治が如何に常識に反することをそれと気づかずにしているかを指摘していきたい。

まず、現代政治は次の心を顧みない。これは六月四日の靖国神社の鳥居横に掲げられた遺書とそれに応えた母の歌である。

「お母さん、さよなら。一足先に天国に参ります。天国に入れてもらえますかしら。お母さん、祈ってください。お母さんがこられるところへ行かなくては、たまらないですから。お母さん。さよなら。

海軍大尉 林 市造」

昭和二十年四月十二日、南西諸島方面にて戦死
京都帝国大学、海軍第十四期飛行科予備学生 二十三歳

「一億の人を救ふはこの道と 母をもおきて君は征きけり」 (戦後識す)

この一通の遺書と母の歌だけを見ても、我が国の誇りある歴史が見えるではないか。しかし、戦後はこの心をことさら見ようとせず誇りをどぶに捨てることによって成り立ってきたのである。あったのは、金儲けだけ。これが常態となれば、国家が存続するはずがない。ここから現代政治の病弊は立て板に水を流すように生まれた。

結局、国家は心の喪失から衰亡するのだ。かろうじて、我が国柄を支えていたのは、天皇陛下と、この恥辱の流れの中にあっても英霊を忘れることがなかった靖国神社である。この社がありそこに参る日本人がいる限り、国家の再興は成る。よって、明確に宣言するが、ここ数年の東アジアのなかの国政の攻防は靖国神社をめぐって行われるであろう。つまり、我々が靖国の封印を解くか、敵が封印をさらに巧妙に隠微に続けることに成功するかである。

今、国家は心の喪失から衰亡すると言った。では、我が国の衰亡を画策しようとすれば、どこに攻撃をかければよいかが明らかとなる。つまり、靖国神社である。ここには、右の林市造海軍大尉とその母の心が封印されている。日本を日本でなくすには、この心を封印して消し去ることだ。これに成功すれば、武力ではなし得なかった日本全面解体という快挙が完成する。そして、中国人は、ほとんどこれが完了したと信じた。そこで李鵬は国外で、「数年後日本はない」と言ったのだ。

そこで、靖国神社の封印を解くとは、どういうことか。それは、我が国の戦いの歴史を取り戻すことである。真の文武両道、尚武の心を取り戻し、子供たちに教科書で林市造海軍大尉と母の歌を教えることである。戦後教えられたように、「日本は悪かったので悪い戦争をして負けた」のではなく、「日本は戦い方がまずかったから負けた」という常識にもどり、そこから大東亜戦争を検証し、斯くの如く戦えば勝てた戦であったと確認しなければならない。決して悪いから負けたのではないと。英霊は戦後の国家と政治がこの検証を開始するとき、荒ぶる大和魂となって国家再建のエネルギーを我々に抽入してくれるであろう。反対に、それを怠ったとき始めて左翼が言うように犬死となる。英霊は、俺たちを犬死にさせるなよと、今も我々に呼びかけているのだ。英霊は、敵と後世の日本に二度殺されようとしている。したがって、今行われるべきは、ある意味では命をかけた壮烈な思想戦である。これに勝たねば英霊に申し訳ない。

私が言っていることが、いささか神憑り的と思われる方は、普遍的に国家における慰霊の問題を考えてほしい。アメリカのアーリントン墓地に、アメリカ大統領が参拝するのはけしからん。そこには、アメリカの英雄ではなく、人類の敵である単なる殺戮者が葬られているだけだ。仮に、この非難にアメリカ政府が屈服して大統領が二十年間アーリントン墓地に行かなかったら、アメリカはどうなる。中国革命英雄記念碑に中国共産党幹部が参拝するのはけしからん。彼らは英雄ではなく殺戮者だ。この意見が大勢を占めて英雄記念碑が取り潰されたら、中国はどうなる。中国共産党政権は崩壊し、アメリカ合衆国も建国と社会統合の理念を失い、単なる移民の坩堝としてのカオスに戻るであろう。

国家における慰霊の問題は、かくの如く重大なのだ。アメリカのような人工国家、中国のような最近革命によって武力で成り立った国家の首脳は、本能的にそれを知っている。したがって、自己の歴史の正当性は強烈に訴える。その彼らから見て、我が国は、靖国神社参拝はけしからん、なぜならあそこには殺戮者が祭られているからという中国の非難に屈服して、総理の参拝が二十年間禁断となった。同じことが中国共産党政権に起こったらと考えれば、彼らの日本は無くなるという判断は、きわめて妥当だ。中国共産党政権は確実に崩壊しているのだから。

以上で分かるように、私は別に神懸りではない。国政つまり政(まつりごと)を思い、国際社会の政治家と同様の目を以って彼らの言動を観察して我が国の防御ラインを考えているだけだ。そうすれば、やはり靖国神社は急所であり最大のターゲットである。彼らはこの二十年間執拗にここに攻撃を絞ってきた。この攻防の帰趨は、ここ一年で決する。  昨年八月十五日の参拝を小泉総理大臣は断念して、八月十三日に参拝した。本年は、八月十五日の騒動を回避するために、小泉総理大臣は、四月二十一日に参拝した。いずれも、中国は口汚く対日避難を繰り返した。そして本年は、中谷防衛庁長官の訪中を断ってきた。歴代政権は脆弱過ぎる。外部の敵どころか、内部の売国者にも勝てない。あと一歩だ。強力な政権が欲しい。これが日本人の願望であり志である。この日本人の思いは、旧満州奉天、現瀋陽の日本領事館に対する北朝鮮人五人の亡命駆け込みに際して、日本領事館員のとった誠に情けない行動が全世界にテレビ中継されてますます深まっている。日本政府自身に、主権侵害に対する反発がなかったのである。

ここにおいて、我が国の政治を突き動かすエネルギーの圧縮熱が高まっている。このエネルギーは、永田町政界の中には無いが、日本人の中にある。中央政府が占領軍に屈服しているとき、離れたところからドゴールはフランス救国の動きを始めた。我が国においても、臆病公家と売国奴が巣食う永田町から離れたところから、日本人の救国のエネルギーを統合する動きが始まるだろう。

そして、靖国神社の封印が解かれる。この一点が突破できれば、あとは自ずから掌中にある。国軍の創設、教育の再興および真の憲法の制定などが掌中に入るのだ。

我々の世代は、この壮大な大転換戦を戦い抜く責務を負っている。丁度、靖国の英霊が熱 い戦闘を戦い抜く責務を負っていたように。

(本稿は、防衛を支える会機関紙に寄稿したものである)