大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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月曜評論 眞悟の憂国

平成14年2月号

明治三十八年(西暦一九〇五年)九月五日、外務大臣小村寿太郎はポーツマスにおいて日露講和条約に調印した。同日、日比谷においては講和反対国民大会が開催され、交番や新聞社が焼き討ちされる騒動に発展し、翌日戒厳令が公布される。講和反対の集会と焼き討ちは 東京から全国各地に波及した。

小村外務大臣は、戒厳令中の十月一五日に、殺される危険のある祖国に帰ってきた。これがまさに皇国の興廃をかけてロシアと戦い勝利した我が国外交の姿であった。国民の要求どおり、さらなる領土割譲と賠償金の支払いに固執して、講和不調・戦争継続になれば、日本帝国自体が、前線で敗北する前に崩壊する。既に我が国力では、満州の数十万の野戦軍に武器弾薬と食料を送ることが困難になりつつあったのだ。小村は使命を果たしたのだ。日清戦争後のロシア、ドイツ、フランスの三国干渉を耐えた日本外交は、また日露のポーツマスでも耐えた。しかし、この外交こそ、政戦両略を駆使して国益と国力の切り結ぶぎりぎりのところを推し進めた最も冴え渡ったものである。

この十一ヶ月間、現小泉内閣とその外務大臣の行状を見て、国の外交とは何かと、小村を回想すること度々であった。この明治の内閣と平成の現小泉内閣の落差はなんであろうか。現内閣は、「人気」によって生み出された内閣である。この人気の度合いは、タレントの人気投票のように、テレビのワイドショーで株価と並んで刻々伝えられる。田中真紀子外務大臣は、久しぶりに帰った新潟の海岸で、「ここに一人で来れば、拉致されるといわれたものよ」と記者団に語る。しかし、その海岸から現実に拉致された横田めぐみさんらを救出する責務が自分の地位にあるとは自覚していなかった。

変動する「人気」によるか、国家に対する不動の「忠誠」を以って成り立つか、ここに内閣の落差が生ずる。前者の場合、使われる「言葉」も、そのときの世相に受ければそれでよい。言葉に責任をとる必要は無い。しかし、後者の場合、言葉はその意味どおりに使われる。例えば、総理大臣が、自ら「慙愧の念に耐えない」と言えば、万死を以って償うということである。総理の地位を去るのみならず自決しなければ収まりがつかない。しかし、昨年八月十五日の靖国神社参拝を中国に非難されて断念し、「慙愧の念に耐えない」と言った総理は、今も笑ってそこにいる。

さらに、日本の政治家は、天皇陛下のお言葉を以って、自らの言動を正当化しえるか。それは、不敬であるとともに天皇の「政治的不答責」の至高の地位を冒すものである。政治家は、天皇陛下のお言葉を心の奥深くで反芻し、決して自らの政治的言動のなかで利用しない。

しかし、小泉内閣総理大臣は、平成十四年二月四日の衆議院本会議における施政方針演説末尾において、自らの言説を補強するために昭和天皇の御製歌を引用し、「国民並びに議員各位の御協力を心からお願い申し上げます」と結んだのである。

小泉総理は、大東亜戦争を間違った戦争として近隣諸国に謝罪して、国家と英霊を辱め、公約どおりの靖国神社参拝もできない軽薄な時流のなかで変質した日本人の最たるものである。

その彼が、こともあろうに、戦が終わった翌年の昭和二十一年歌会始に詠まれた昭和天皇の次の御製歌を政治的に引用するのは不敬である。

小泉は、おほみごころを知らず、御歌の意味も判っていない。

ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松そをゝしき人もかくあれ